気づきを書き留める価値

気づきnoteについて紹介します。ノートと言っても、授業のノートではありません。「気づき」を書きとめる、そのノートの話です。いわば、自身の学びや学んだ自分をメタ的に振り返る中で、学んだことや学んだ自分に新しい光を照らすものです。メモやノートをとるとき、それはふとしたアイデアや思い付きを書き留め、それらが一定量を越えたとき何かまた新しい発見があります。たとえば夜、布団に入って電気を消したあとやお風呂につかって、ぼんやりしている時、「あ、これいいな」、「そういうことか」と何かがひらめく瞬間が、だれでもあります。その瞬間に浮かんだ考えは、書きとめておかないと、二度と、自分のところにはおりてこない。同じひらめきは、もう一度はやってきません。
学びの機会を得たときも同じように、新しい考えや考えにならないもやもやしたものが湧いてきます。不思議なもので、頭の中にあるうちは、考えはもやもやしています。形にならないまま、文字にして書き出してみると、頭が回転しだして、ばらばらだったものがひとつの線でつながっていくこともあります。すると、書いているうちに、書く前には思ってもいなかった、新しいことが浮かんでくる。書くという行為そのものが、考えるということではないかと思います。言い換えれば、自分で自分の頭を起動させて、書かないとたどり着けない場所があります。
学びプロジェクトや授業などで気づきを書きとめたときは、ほんの小さなメモかもしれませんが、それを書きためていくとその小さなnoteは、ただのメモではなくなって大きなちからになります。noteを開くと、そこには、自分の考えた足跡が、文字になって並んでいます。そして面白いのは、そのアイデアの背後に、どこで思いついたのか、何がきっかけだったのか、ネタ元まで一緒に残っていることです。それを、何ヶ月も、何年も、積み重ねていく。すると、どうなると思いますか?
それは、自分だけの「アイデア辞書」であり、世界にひとつだけの、あなた専用の辞書になります。過去の自分が残してくれたページを開けば、そこにヒントがある。アイデアと、アイデアが、自分の中でつながっていくのです。
ここで、ひとりの先輩の話をさせてください。同志社高校から、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校へ進んだ、沢さんという人がいます。世界でも指折りの大学です。その沢さんが、こんなことを言っていました。
「海外の一流大学を目指す人は、成績がいいのは当たり前です。でも、それだけでは受からない。エッセイを書いたり、自分が何に取り組んできたのか、証拠をもって示さないといけない。だから多くの人は、進学のために、わざわざボランティアをしたり、コンテストに出て実績をつくったりするんです。
でも、僕はそうしなくてよかった。たまたま中学のとき、学びプロジェクトにものすごく参加していて、記録もたくさん残っていた。だからエッセイも、矛盾なく書けた。本当に書き重ねてきたファイルがあったから、わざとそのようなことをしなくてよかったんです」
沢さんは、誰かに見せるために書いていたわけではありません。その時々で、面白いと思ったこと、考えたことを書きためていた。それが、何年もたって振り返ったときに、そこに、確かに積み上がっていました。だから彼は、自分を大きく見せる必要がなかったのです。
学びプロジェクトに参加すれば、バークレーに受かるわけではありませんし、気づきnoteを書けば、ロンドン大学に行けるわけでもない。また海外の一流大学にいくために学びプロジェクトがあるわけではありません。でも、そういう場所にたどり着いた人たちは、決まって、その瞬間に考えたことを、書きとめていました。同志社中学では、気づきnoteを書くこと、それ自体を、ちゃんと表彰します。学内の、立派な表彰のひとつとして、記録に残ります。それに、書きためていくうちに、自分が本当に興味のあること、調べてみたいことのアンテナが、どんどん広がっていきます。
特別なことをしなくていいし、あざとく自分の実績をつくる必要も、ありません。ただ、自分の興味にひっかかった学びプロジェクトに参加してみたり、今日何かひとつ、「あ」と思ったことを、気づきnoteに書きとめてみてください。その積み重ねは、いつか、誰かに見せるためではなく、自分自身のために、確かな本物になっていきます。(沼田 和也)






