快風丸にみる渡米前

張りめぐらされたロープと帆、船体に走る美しい木目。30センチほどの大きさですが、近づいて覗き込むと、今にも大海原へ走り出しそうな迫力があります。これは幕末に活躍した洋式帆船「快風丸(かいふうまる)」の模型です。同志社を創立した新島襄(にいじま じょう)がアメリカへ渡る大きなきっかけとなった船として知られています。
この模型を制作したのは本校生徒の北村さんです。ただ精巧につくるだけでなく、「身近で安く手に入る市販の材料を組み合わせ、いかに完成度を高めるか」をテーマに掲げました。見た目の美しさはもちろん、限られた条件の中で知恵を絞った「ものづくりの工夫」にこそ、この作品の大きな面白さがあります。
アメリカ生まれの洋式帆船「快風丸」
快風丸は、もともとアメリカで造られた木造の帆船です。1862年に備中松山藩(現在の岡山県)が買い取り、「心地よく吹く風」を意味する「快風丸」と名づけられました。日本が西洋の技術を急いで取り入れようとしていた時代の船で、明治時代に入ってからも国の輸送船として働き、最後は売却されるまで長く活躍しました。
新島襄の人生を変えた航海
新島襄がこの快風丸に乗ったのは二度ありました。一度目は19歳のとき。江戸を出港し、太平洋岸を下って瀬戸内海へ向かう航海でした。初めて外洋に出た新島は、海の大きさに圧倒され、世界を意識し始めたといいます。二度目は21歳のときです。藩から箱館(現在の函館)での武術や洋学修行の許可を得ていた新島は、快風丸が箱館へ向かうことを知り、周囲の助けを得て乗船を果たしました。表向きは修行のためでしたが、その胸には「海外へ渡る」という強い決意がありました。この箱館こそが、のちにアメリカ船で日本を脱出する出発点となったのです。
歴史と今を繋ぐ一隻
快風丸が海を走ったのは、日本が長い鎖国を終え、世界とつながり直そうとしていた時代でした。技術も人も国境を越えて動き始めたその波に乗って、一人の若者がアメリカへ渡り、帰国後に同志社を創立しました。いま私たちが学ぶこの学校も、この快風丸の航海の先にあります。
校内に飾られたこの模型は、幕末の海と今の私たちをしっかりと繋いでくれています。お越しの際は、ぜひじっくりと細部までご覧ください。「これが市販の材料でできているんだ」という発見とともに、作品の魅力を感じていただければ幸いです。
参考文献
・同志社一貫教育委員会 Wild Rover Project 製作『新島襄の生涯』
・現代語で読む新島襄編集委員会編『現代語で読む新島襄』丸善、2000年






