建築模型 水路閣

発泡スチロールで彫ったレンガ
間近で見ると、レンガとレンガの間の溝に影が落ちています。目地が1mmほどの深さで刻まれ、光の当たる面と陰になる面が細かく入り組んでいます。ところがこれは、焼いたレンガでも積んだ石でもありません。発泡スチロールの表面を、鵜飼さんが一本ずつ彫っていったものです。
この模型がかたどっているのは、京都・南禅寺の境内にある「水路閣」です。琵琶湖から京都へ水を引く琵琶湖疏水の分線にあたり、レンガと花崗岩でできたアーチ型の水道橋です。本物は全長90メートルを超えます。その連なるアーチと、レンガの手ざわりを、生徒は縮尺模型のなかに写しとろうとしました。
本体
アーチで谷をわたる水路閣の役割は、上を流れる水路を途切れさせずに向こう側へ渡すことです。そのために選ばれたのが、連続するアーチでした。アーチは、上からの重さを曲線
に沿って左右の橋脚へ逃がす構造で、レンガや石のように「押される力」に強い材料と相性のよい形です。模型でも、いちばん上の水路を支えているのは、規則正しく並んだアーチの列だとわかります。
景色になじむアーチ
水路閣が通るのは、古い寺院・南禅寺の境内です。近代の土木構造物が古都の景観を壊さないよう、設計を担当した田邉朔郎は意匠に配慮したという記録があります。むき出しの鉄やコンクリートではなく、赤いレンガと花崗岩のアーチを選んだことで、水道橋は寺の緑や堂宇のあいだに違和感なく収まりました。機能だけでなく景色との調和まで考えた設計だと言えます。
発泡スチロールをレンガに
鵜飼さんがこだわったのは、このレンガの質感でした。発泡スチロールの表面に、レンガ一つひとつの形へ溝を刻み、その上から塗装して色と陰影をつけています。溝が影をつくることで、平らな板が「積まれたレンガの壁」に見えてきます。一本ずつ刃を引いて溝を彫る作業を丹念にくり返した手間が、この模型の見ごたえ
を高めています。
歴史・文化的意味
水路閣がつくられたのは、1888年〈明治21年〉です。当時の日本は、大きな土木工事の多くを外国人技師にまかせていましたが、琵琶湖疏水は測量から設計、施工までを日本人の手だけで行った、日本で最初の近代的な大土木
事業でした。工事の主任技師は、大学を出たばかりの21歳、田邉朔郎です。大量のレンガは、疏水のために自前で建てた工場から供給されたと伝えられています。連なるアーチは古代ローマの水道橋を思わせますが、その一つひとつのレンガには、近代日本が自分たちの技術で都市をつくり直そうとした意志がにじんでいます。疏水そのものが通水したのは、その2年後の1890年のことでした。
ぜひ本校にお越しになって、模型のアーチをのぞきこみ、レンガの溝に目を近づけてみてください。発泡スチロールでここまで表現できるのかと驚かれるはずです。(技術科 沼田 和也)
※この模型は、本校生徒、鵜飼さんが制作しました。発泡スチロールに一本ずつ溝を刻む地道な作業に敬意を表します。
⑦ 参考文献
・文化庁「水路閣」日本遺産ポータルサイト https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/5153/(2026/8/3閲覧)
・京都市「水路閣」日本遺産 琵琶湖疏水
https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/place/detail/32(2026/8/3閲覧)
・京都市「琵琶湖疏水工事での”日本初”」日本遺産 琵琶湖疏水(エピソード) https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/episode/detail/4
(2026/8/3閲覧)
・. 京都市「琵琶湖疏水とは」日本遺産 琵琶湖疏水(ストーリー)
https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/story/(2026/8/3閲覧)






