生徒の創作作品
短歌、延いては韻文を人が読むのはなぜでしょうか。説明文や小説のような、丁寧に論理や因果が説明された文章と違い、韻文を読むことは洗練された(語数の少ない)ことばと向き合うことが必至です。そのため、歌人や詩人の思いやメッセージを受け取るには、自分で情報を補完する、つまりことば同士の矛盾やことばが孕む意味を考えることになります。
「どんなことを言いたいのか」「なぜこのことばを選んだのか」「この語順にする意味はあったのか」、考え始めるときりがありませんが、その行為はすなわち自分のことばで内省することになります。じっくり考えた末に「あっ、そういうことか」という答えが出るかもしれないし、「ん?まだわからない」とまだ悩み続けるかもしれません。それが、ことばと向き合うことだと思います。
なぜ韻文を読むのか、それは自分の思考をはりめぐらせて、自分を深めていくことができるからだと思います。詩人や歌人のことばに出会い、それと対峙することで人生訓を得たり、今の自分を重ねたりすることをしたいのだと思います。
どんな人でもわからないことを考えて解決したいという欲求を持っています。ですが、時には自分だけでは手に負えないことだってたくさんあります。その苦しみを他者と共有したり、はたまた他者と交流することで解決につながったりしたときの、救われたような気持ちは、ことばではなかなか言い表せないものです。韻文を読むことが似たような経験につながることはよくあります。考えつくしてもわからなかった韻文のことばが、誰かの発言でストンと理解出来たり、話をするうちに徐々に理解が進んだり、といったことです。ひっかかっていたものが「わかった!」ときの喜びは一入です。韻文を読むことは、未来の自分への投資、という一面も持っているかもしれません。