
3月15日(土)午前10時、叡山電鉄修学院(しゅうがくいん)駅をスタートして音羽川を砂防ダムまで遡り、白川の名前の由来と思われる白い岩と砂 -かこう岩- を探しながら、花折(はなおれ)断層の上を歩いて一乗寺(いちじょうじ)駅に戻る、行程約4kmのフィールドワーク(学びプロジェクト)を実施しました。地学のスペシャリストである上村剛史さんが案内してくださいました。


3名の中学生の皆さんが参加され、上村さんの説明を聞きながら、湧き出る質問をぶつけていきます。上村さんは知っている限りの知識を伝えてくださいました。音羽川の両岸の道路を歩きながら、ところどころに見つかる白いお地蔵さんはかこう岩でできています。音羽川の川床に見える砂も白いです。ちなみに、音羽川に沿った道は比叡山に通じる雲母坂(きららざか)と呼ばれる道です。親鸞や法然が通った道、南北朝時代に激戦が行われた場所として有名です。音羽川は、今は砂防ダムで水量がコントロールされていますが、20世紀前半までは水害が多く発生した川です。川床が階段状に整備されているのも防災のためで、流れを穏やかにしています。
かこう岩は石英、長石、黒雲母などの鉱物でできていて、かこう岩でできている地層は京都市では比叡山付近だけとのことです。


砂防ダムをぐるっと回り、曼殊院(まんしゅいん)の前を通り、花折断層の上の道を歩きました。詩仙堂(しせんどう)に至るこの道路は細い道で、進行方向左手が高く、右手が低くなっています。上村さんは、この段差が長い時間をかけて進行した断層のズレだと説明されました。
詩仙堂の隣の八大(はちだい)神社境内の白い立砂(たてすな)を見て、一乗寺駅に向かいました。


修学院は本校の隣の地域にあたります。すぐ近くに、京都市内で珍しいかこう岩の地質とその上で営まれた人々の歴史、そして有名かつ危険な花折断層を実感することができました。
上村さん、参加された中学生の皆さん、ありがとうございました。
(数学科 園田毅)
