「丸太を割る」が教えてくれる宝物
こんなシンプルな体験にこそ本質が詰まっている
木材の板、角材、あたりまえのように思っていませんか?多くの学校の技術の授業ではいきなりノコギリの使い方を訓練したりしますが、同志社中学校は違います。「なぜ?」からはじまり「当たり前」を疑います。のこぎりよりも先に世界遺産の建物は存在しています。ノコギリのない時代にどうやって木を切り、割ったのでしょうか?詳細は別資料に譲らなくてはなりませんが、今回の技術科授のチャレンジ体験は「丸太を割る」だけの授業でした。木をよく見て、くさびを打ち込み、そして割る。半分に割るだけでも相当の体力を要します。くさびを打ち込むといっても、こちらが思った方向には入ってくれません。木目に流され、節に邪魔をされ、どうにか割れたその割線は当初の予定とは結構違った方向になってしまいます。昔の人は、割る前からこの木はこのように割れるなという予想ができるようになるくらいの体験を積んでいたのだろうことは想像に難くありません。
さらに製材するには、槍ガンナやちょうなという道具をつかって表目を平らにしたり曲面に仕上げたりしていたんでしょう。一枚の板、一本の柱にするだけでとてつもない練習と作業者の労力が入っているわけで、今までの木材(板や柱)の見え方が違って見えてきます。 縦引きのノコギリが入ってきたのは室町時代ごろとか言われますし、もしそれが本当ならそれ以前の遺産とはまたすごいものだなあと実感を伴って感じることができるようになります。
良質で本物の体験というものは、シンプルです。そして私たちにさまざまな学びの機会を提供してくれます。やってみて、感じて、考えることができます。そういった本物体験や良い体験に裏打ちされた感じ方や考え方が、本物の知識の土台なるのだなあと思った次第です。
なんでもやってみて初めてわかること、やってみなければわからないことがある。そんなことを教えてくれた授業でした。(knumata)
※外村先生が丸太割のコツを説明しています。その後はみなさんの頑張りがものを言います。かなりうまく割れたものもありました。コツや勘の世界をかなり遠くに想像することぐらいはできるようになりました。