授業研究の向こう側
「私たちが次の世代を背負っている」
先日、福井大学教育学部付属義務教育学校(小中学校)を訪問し、授業および授業研究の現場で多くのことを学ばせていただきました。
ある授業で、それぞれ4人グループになり討論しながら自分たちなりの考えをまとめる場面がありました。どの生徒の方も、意見や気づきを途絶えることなく話し合っていました。もちろんグループによっていろいろな雰囲気はありましたが、ボリュームが小さいグループも途切れることなく静かに熱く話しあっておられました。なぜこんなに一つの問いに長い時間かけて考えを巡らせることができるのか不思議に思い、あるグループに質問しました。「なんでみなさんはこんなに一生懸命討論を続けられるんですか?普通中学生ともなれば大人の求めることをうまく推量して、適切・適度にやり過ごして、思考を止めることもできるじゃないですか?なんでこんなに続けることができるのですか?」
すると、
「私たちが次の世代を背負ってるじゃないですか。自分で物事を考えたり、意見を言えることは大事だと思うし、今のうちから、自分で考えたり討論することできることが大事なんだと思うからです」
と即答してくれました。
この方の発言、「次の世代を背負っている」という発言に感動しましたし、このようなグランドマインドセットを醸成されているこの中学校の素晴らしさを実感しました。「なぜ学ぶのか」「学ぶこと意味」を、一つ一つの授業の中で自分の生き方と関連させながら意味づけできるかどうかなんて、なかなかできることではありません。ゆるがない芯のようなものを持っていらっしゃると思いました。このような知のアイドリングができている学校って本当にすてきだなと思いました。同じ中学3年間をすごしてもまるで違ったものになると思います。
このような学ぶことのずっと先を見通す眼差しが生徒の皆さんの中に根付いている背景には、間違いなくそこで勤務していらっしゃる教員ひとりひとりが、芯の通った研究心をもちながら日々の一コマ一コマの授業を育てているからに他ならないと思いました。それは、同時に生徒たちの未来をはぐくもうとする真摯なグランドマインドが、教員たちの中に根付いている証拠であろうと感じました。システムや授業ノウハウはすぐに真似できますが、私たちが学ぶべきはこのような教員マインドではないかと思いました。教員自身のビジョン、ミッションが鍵でしょう。
昔の日本では、「教師でもなるか」・「教師しかないか」という「デモシカ」教師や、「部活のために教師になりました」と開き直る部活熱狂教師など、問題になることがありましたが、今では考えられないことです。
入試改革、21世紀学習者スキル、EdTech、AIなど、学校が飛躍的に改善・改良しなくてはならない渦中に私たちはいると言えるでしょう。私たちの想像を超える未来を一方で考えながら、そこに目の前の子ども達の未来を重ねていく仕事が私たちの仕事であり、授業をきっかけとした”子ども達の学び”にこそ焦点をあてていく教員であらなければ。。福井の付属中学校の生徒の皆さんとそれを支える教員の皆さんお一人お一人に感謝いたします。
(沼田)
参考
木村優・岸野麻衣『授業研究-実践を変え、理論を確信する』新曜社 (2019/6/5)