ものづくり授業交流プロジェクトとして、教員間のネットワークをアジアで作りたいと考えて動いていた最初のころ、幸運にもフィリピンのある私立学校で授業をさせていただく機会を得ました。その学校は田舎のそれほど豊かでない場所の学校でした。その学校のオーナーは元土木技術者で、若いころこの辺の地域の子どもたちがお昼間も何もすることなくしている姿をみて、この国の未来のためにも教育や学校が必要だと考えたそうです。その方は私財をなげうって(といってもあまりなかったそうですが)、自分の技術や技で校舎を建てたそうです。どこか手作り感のある建物だなと感じていたのもうなづけました。
翌日私が授業をするので、サイエンスの先生と一緒にラボで準備をしている時、生徒がラボに入ってきました。おそらくサイエンスの先生とおしゃべりに来たんだとわかりました。サイエンスの先生は、私のことをを「日本のテクノロジーの先生で、明日授業をすることになっているよ」と紹介してくれました。私たちは、自己紹介やそれなりの会話を楽しんだあと、彼女は最後に私に言いました。
「あなたのサイエンスと私の生活がどのようにつながっているのか、その関連例について教えてください」
と言いました。例えば教師が話するだけのあきあきする授業はしないでくださいよという意味もあったのかもしれません。しかし突き詰めれば彼女の言ったこととは、「なぜ学ぶのか」といった問いを私に投げかけていることでもありました。このことは私を考えさせました。もしかしたら日本の生徒も、自分が生徒だったころも同じことを考えているのではないか?!ということでした。フィリピンと日本は遠い距離のある国同士ですし、話す言葉も文化も習慣も経済状況も違います。しかし、生徒や学生は同じ問いをいつも持っていたのです。私たちは思います。「なぜ学ぶのか?」「勉強して何の意味があるのか?」「そして私はなぜここにいるのか?」、、こういった本質的な問いは国が違えど同じように持っているのではないかということをです。学生や生徒たちが、共通の課題に向き合っているとするならば、その学生たちの未来を支援する教師という職業の人も共通のミッションを持っているのではないか?!ここにアジアで教員同士のネットワークを築いていく理由があると確信しました。次の学校、つまりは生徒達の未来へアクセスするための授業や学校への思いは、国境を越えて共有できるし、ともに相談しあったりアイデアを討論できる理由がすでにあるではないかと思いました。そうすることがアジアに限らず地球規模でネットワークをつくり、次の世代のための何かをいっしょに考え一緒に行動できる。その生徒の発言が、ネットワーク構築中であった私を加速させてくれました。
それと同時に、フィリピンの生徒の誠実でまっすぐな問いは私の背筋をピンをさせてくれました。「なぜ学ぶのか」に向かって問い続けていくことは時に疲れます。ややもすると自分の内面と向き合うことをやめて自分の外側に置こうとします。「進学のため」「良いスコアのため」「怒られないため」などのように。。。しかしその生徒は外国の人が来た時にストレートに表現してきたのです。翌日の生徒の皆さんの授業に対するの熱心さ、何かをまなんでやろうという貪欲さ、これらは言うまでもありませんでした。 (knumata)