本気の取り組みが本物の体験になる
自由研究を通して、生徒が成長するとき
本物の本番の発表会になった
今朝、3年生の生徒が私のところにわざわざ駆け寄ってきて、「先生、昨日の発表うまくいったで!」と言いにきてくれました。彼女が言っている「発表」とは自由研究の発表会です。すべての生徒がハーフサイズのクラスメイトの中で、持ち時間5分のプレゼンを行うというもので、彼女はオリジナルデザインの椅子を研究テーマにして製作したのでした。
意外であり私が嬉しかったことは、その発表会が彼女にとって本物の本番となっていることでした。わざわざ私に報告に来るくらいの出来事になっていたことでした。自由研究の発表会とは言え、日頃いつもいっしょにいるクラスでしかも半分の人数。言って見れば日頃の授業でのレポート発表、プレゼンとなんら変わりがなく、先生からの評価もなければ、賞金・賞品もない単なる一発表会だったのです。
彼女は比較的要領がよく、先生や指導者の意図をうまく推量し、多くない時間でそつなくこなすことができる生徒でした。しかし私には、それが逆に「気になって」いました。
本校ではそういった生徒が比較的多いように思います。工作やものづくりに関わらず他の勉強でも要領よくやることができる反面、彼らがイメージして到達するゴールも要領がいいといいますか、適度な感じなのです。私はこのようなコンビニ感覚の思考プロセスに何か“雑さ”のようなものを感じ、それが気になるのです。受験勉強や資格試験ならば、その要領の良さみたいなものが重要になってくるので悪くはないと思いますが、ものづくりの場面においては、それが目に見えてわかるので気になるのです。
ものづくりを考えるとき、かなり夢中になってしまった体験、時間を忘れてしまった体験、そういうのがあって初めて他者のことを考えるものづくりが可能になると思うのです。深い洞察が可能になるから、作りながら「あれもしよう」、「こうしたらどうなるだろう」という問いがたくさんでてきて、質の良い問いがでてくるからそれを解決するアイデアも次々とでてきて上書きされながら、ものづくりが進んでいくのだと思います。
私は、上記の生徒の自由研究をサポートする係になったとき、とにかくそんな彼女を本気にさせてやりたいと思いました。
3年生必修の年間課題“自由研究”
自由研究テーマとその説明についての書類提出(A5のカード)はもちろん彼女は期限通りに「椅子のデザインについて」という内容で出してきました。抽象度の高い表現、ゴールをあらかじめ設定してあることは見え見えでした。ここから彼女への挑発が始まりました。彼女への注文はかなり無茶を言いました。読み応えのある本を数冊渡し感想交流もしました。「デザインについてまとめる前に、自分でつくろう。親戚に工房があるのならぜひ夏休み習いに行って、おじさんにインタビューしたり、教えてもらったりして、弟子入りするつもりで通ったら?」など注文もつけました。
やるかやらないかは本人次第ではありますが、彼女に変化が訪れ、なんと研究成果の一次提出締が未提出。二次提出もかなり遅れてのものになりました。彼女曰く、「だすことはできるけど、もっとちゃんとしたいから待ってください。納得がいくまで待って」とのことでした。これまでの彼女なら、先生にあれこれ言われるまえに適当(適切)に提出完了という形式をまずやったはずです。その彼女が、「待ってくれ」という。非常に楽しみにしていました。
提出してきた彼女の作品には、たくさんの丁寧な修正跡があり、報告集もまた力作でした。これまでの彼女の生活スタイルとは違うなと感じました。
彼女は次のように感想メモを書いてくれました。
「今回、私がイスについて研究し、学んだことは、イスは座るだけの物ではないということです。イスをどうやって使うかは、人それぞれだと思います。状況によって、イスは休息をとるための物、あるときは、高い物を取りたいときに使う台、そのほかにも権力を表す物であったり、と変化していくのです。
・・(中略)・・
亡くなった祖父が、どうしてこのイスを買ったのか、どこに魅力を感じたのかとても気になりました。そして、今まで以上に我が家にあるイスに愛着が湧くようになりました。
イスの制作では、始めは何本かの木片が、組み立てることによって、人が座れる物になるという、普通のことにも感動しました。制作を手伝ってくださった江見さんにも、本当に感謝しています。研究をすることで、今まで以上にイスに興味を持つようになったし、これからは、デザインにも挑戦していきたいと思っています。」
私は彼女の発表シーンを見に行った訳ではありませんが、今までとは違う“彼女自身が入った”発表をしていたことは想像に難くありません。(沼田)