今教育とか学校は新しい局面を迎えていると言われが、新しく変わる歴史の非連続な面にスポットが当たっています。これまでどおりのある枠内の世界だけで完結できた(なんの問題にもされなかったこと)が、今ではある種の壁を乗り越えてクリティカルに学びを深め外へ展開していくことが求められるようになりました。その社会的・世界的な大きなうねりのなかで、具体的にに何ができるのかを考えてみますと、、もっともっと具体的なことに落としてますと、ひとつは学びにかかわる生徒の皆さんご自身の「気づき」を蓄積することだろうと思います。本校では、ご自身の成長や日々の気づきを証明する「Feelnote」というアプリが入っています。この類のアプリで競合商品は多くあるのですが、それらは教師中心主義的なコンセプトで作られています(教師が楽にできるように設計)。「Feelnote」は違います。生徒中心主義、もっと言えば生徒の皆さんご自身の気づきを軸に自分流にまとめていけるものなのです。iPadにあるのでご覧いただきたいです。
ところでその生徒の皆さんが気づいてくださったこと、感想や考察などの提出物を拝読させていただきながら、我々教師自身が学ばせていただく機会が本当にたくさんあります。それは学期末など生徒のみなさんのレポートなどを点検している時期です。驚きを与えてくれたり確信を与えてくれたりまた時には新しい授業設計のアイデアにつながるヒントをいただいたりする宝物のような時間です。生徒の皆さんの気づきや考察や視点の広がりをいかに授業展開においてなしえたかということが、我々教師の自身の評価になるわけですが、その生徒の皆さんの考察自身に気づかされることが本当に多いのです。
びっくりしたことを紹介します。
竹とんぼの授業を振り返ったコメントをいただきましたが、私自身考えたことがなくこのような視点があるのかと驚きました。
「竹とんぼをデザインすることになり、(私は)持つ部分(軸の部分)にマスキングテープを貼ったり、創意工夫を凝らしましたが、飛びにくくなったりしました。これは企業のおもちゃがいかにすごいかをとても感じられます。普段この商品はいい、ここのは悪いと言ったりします。どちらの商品にも作った人の頑張りを感じられるようになりました。」
この方は、創意工夫した結果「飛ばなかった」と述べておられます。一般的には失敗しているわけです。「ああ、残念」とか「ああ、あかん!なんで」とつぶやいて次の思考に移っていくはずですが、市販の商品やその向こう側にいる人を想像し、その方々の気持ちへの共感を試みていらっしゃるわけなのです。
もし私が生徒という立場で、同じような年代の自分だったら、、と想像したら、私にはこのような想像力は間違いなくなかったと思います。
このちょっとした生徒のみなさんの感想ですが、皆さんの感想や考察コメントが教師を励まし、新しいアイデアにつながっていることをお伝えしたくて筆をとりました。
感想や考察、またはそこまでの記述にいたらない程度の「気づき」は教師のマインドに変化を与えると同時に自分自身の成長の照明であるのです。ぜひFeelnoteに小さな気づきを残していただき、あるとき振り返ってエッセイにまとめ直してくださることを期待してます。
そして何より同志社中学校では生徒も教師も学びに向かう学校として世界に発信していきたいです。(knumata)