「弱み」を「最大の武器」に

100km走るイベントコンパニオンが伝える、型にはまらない生き方のデザイン
学びプロジェクトにて、スペシャルゲストに講演いただきます。事前にインタビューさせていただきました。講師の紹介としてインタビューさせてきただきました。イベントは、4/21(火)15:30です。
(記事:沼田 和也)
陸上の強豪校で駅伝部を立ち上げ、産婦人科の過酷な現場で命に寄り添い、現在は「トップイベントコンパニオン」として走り続ける中乃あみさん。大人になってからADHD(注意欠陥・多動症)とASD(自閉症スペクトラム)との診断をされたあみさんは、自らの特性を「武器」へと変え、教育現場の子どもたちに新しい選択肢を提示しようとしています。
ゼロから「歴史」を創り出す情熱
——あみさんのキャリアの原点は、高校時代の「駅伝部創設」にあると伺いました。
そうですね。もともとは短距離の推薦で入学したのですが、恩師との出会いをきっかけに、当時はまだなかった「駅伝部」を監督の誘いと協力をうけて同級生たちと3人で立ち上げることになったんです。今でこそ日本記録保持者を出すような強豪校になりましたが、当時は練習環境も何もないゼロからのスタートでした。
「ないなら自分たちで作ればいい」
あの時の経験が、今の私の「型にはまらない」生き方の根底にあるのかもしれません。
命の現場で見つけた「言葉を超えた対話」
——その後、保育士として産婦人科の病棟に勤務されるという、これまた異色の経験をされていますね?
はい。特に帝王切開の現場で、パニックになるお母さんの手を握って心を落ち着かせるという役割を担っていました。 医療知識や技術も大切ですが、それ以上に「今、目の前の人が何を求めているか」を感じ取り、安心をデザインする。そのスキルは、その後のイベントコンパニオンやタレントとしての活動、そして子どもたちとのコミュニケーションにも強く繋がっています。
「ADHD」という診断が、自分を解放した
——大人になってから発達障害の診断を受けたそうですが、そのことは人生にどう影響しましたか?
病院勤務で燃え尽き、うつ状態になった時期がありました。その時に診断を受けたのですが、ショックというよりは「だから私は周りと違ったんだ!」と、パズルが完成したような爽快感があったんです。 例えば、私は「過集中」という特性を持っています。これが悪い方に働くと周囲が見えなくなりますが、良い方に使うと、100kmマラソンを走り抜くような圧倒的な没頭力に変わります。 自分の「弱み」を理解し、それをどう「武器」として使うか。そして苦手な部分は、素直に周囲に助けてもらう。診断を受けたことで、私は自分自身をデザインし直すことができました。
教員の役割は、知識を教えることだけじゃない
——今、同志社中学校の「学びプロジェクト」などを通じて、生徒たちに伝えたいことは何でしょうか。
教員や講師の役割は、教科書の内容を教えることだけではないと思っています。多様な生徒が自分らしく学べる環境をデザインすることこそが大切だと思っています。 私は生徒たちに、私の波瀾万丈な人生を見せて、「こんなに凸凹でも、楽しく生きていけるんだ」と知ってほしい。障害を「知識」として知るだけで、他者への優しさが生まれます。
——これからの展望を教えてください。
私自身、トランスジェンダーの夫と共に、特別養子縁組で子どもを迎える準備をしています。私生活もキャリアも、常に「越境」の連続です。 安定なんてどこにもない時代だからこそ、自分の心を知り、選んだ道を「正解」にしていく努力を惜しまない。そんな姿を、走り続ける背中で示していきたいですね。
——————————————————————————–
中乃 あみ(なかの・あみ)
元保育士・トップイベントコンパニオン。100kmウルトラマラソン完走者。ADHD・ASDの当事者として、自身の特性を活かしたマルチな活動を展開。現在はマラソン大会のアンバサダーやラジオ出演など、タレント・実業家としても活躍中。





