自分の表現に対する自信をとりもどすアートの力
等身大の「鑑賞」をみつける
合同会社amiamiの高野氏と本校の美術科教員橋本先生とのコラボレーション美術授業がついに最終日を迎えました。この単元では、生徒たちがアートを通じて多様な価値観に触れ、自己と向き合い、未来社会を描き出すというユニークな学びに取り組んできました。生徒たちがそれぞれ選んだテーマをもとに制作した作品が発表されました。その作品には、鑑賞を通じて得た感性や自分自身との対話の結果が色濃く表現されています。
これまでの鑑賞の授業は、静かに作品を見ながらその美しさや技法を分析したり、評価の適正さを競争するようなものというイメージを持っているのは筆者だけでしょうか?恥ずかしながら鑑賞と言えば静的な体験としての授業イメージしか持っていませんでした。しかし、今回の本校で行われたamiamiとのコラボの美術授業では、鑑賞がそのような受動的なものではなく、動的な学びの場となっていました。この授業の単元には、他者との対話によって引き出される気づきが生き生きと動いていて、お互いの気づきが互いに影響しあっていると感じたからです。その連鎖は、それぞれが気づかずに持っている「固定観念」を棚に上げ、素の自分を出しても良いという安心感の中で、自分の表現に対する自信を持つことができ、表現しているのだと思いました。
・「みんなの絵を見たら正直言ってこの絵って芸術って言うのかなあと言う絵画あったけど、その絵の説明を聞いているうちに、この絵にはこういう思いで書いたんだ、こういうことを工夫したんだなど、どんどんへの要素が伝わってきて、美術は上手だから良いと言うのではなくて、気持ちを込めて作る作品が一番良いと言うことがわかりました。」
また、次の生徒はアーティストの作品をより深い洞察につなげています。
・「こんな言い方をしたら失礼かもしれないけど、最初私はCの絵を見てちょっと変わった絵だなぁと思ったけれど、作者の話を聞いたあとは、この絵を書いた人は、どんなふうにどこにこだわったのかとかがすごく知りたくなりました。」
お互いの話を聞くことを通して、感想の上に気づきを上塗りしながら、「鑑賞」という活動の入り口、手ほどきを学びあっているようにも見えます。また、気づきはいつの間にか持ってしまっている観念をゆさぶるきっかけにもなっています。
・「使わない色遣いは見た目が悪くなるから、絶対やめたほうがいいと思っていたけれど、まがまがしさや気持ち悪さを表現したい時はあえて使ってもいいなと思った。」
・「自分は自分の絵が嫌いで、小学校では可愛く書こうと必死だったけれど、今回は固定観念にとらわれず人目を気にせずにかけて楽しかったです。」
等身大の自分でいいんだ、思うこと感じることの主観は出していいんだと気づけた生徒は、自分の表現や ”私が私として感じて考えていること” に自信をもって表現してくれます。
・「私が発表したのは三枚目で、彼にはストーリー性があります。それはサツマイモ大国と言う大の王様で国民よりおいしいサツマイモを作るために日々励んでいると言うものです。そして10年に1度のサツマイモ大会で優勝した人が次の王様になれるのです。つまり王様はサツマイモのプロなのです。心が汚いやつはおいしさサツマイモは作れないと思うので、王様はみんなサツマイモ愛している人なのです。おいしいものを食べて欲しいと言うの母さんの気持ちを擬人化したキャラでもあります。こういうキャラを少しずつ書いていきたいです。」
この単元では、amiamiのアーティスト作品をきっかけにして、鑑賞と創作の往還によって、作り手と観る者(受け手)の深い対話を実現するものでした。「アーティストのEのテーマを苦手ながらも選んだが、他の誰も選んでいなくて、例え下手でも選んで良かったなと思えた。他の誰にも書くことができない世界で1つの作品、(中略)、本当に多く逃げずに、自分が挑戦して体験できて本当に良かったなと思いました。」と、ある生徒は振り返っています。この単元を通して、生徒たちの表現に対する自信が、結果として「社会にどう影響を与えるか」につながっていくのだろうなと想像します。あらためて美とは何か、表現とは何かという大きな問いの入り口に立てたのではないでしょうか?(教頭 沼田)