皆さんは、吉田光由(みつよし)と「塵劫記」(じんこうき)をご存知でしょうか?
吉田光由(1598-1672)は江戸時代の京都の数学者で、彼が著した、当時大ベストセラーの数学書が「塵劫記」(1628年出版)なのです。本校立志館3階数学MS(メディアスペース)のガラスケースに、「塵劫記」を展示しております。
この本は、吉田光由の生涯を描いているのですが、本書の前半は、角倉了以(すみのくらりょうい)、素庵(そあん)親子がとりくんだ京都・大堰川(おおいがわ)の掘削工事や今も鴨川と並行して流れる高瀬川水路建設にあこがれる彼の姿が中心になっています。これらの工事に関わりたいという切り口から、吉田光由は数学を学んでいきます。彼が数学を習ったのは毛利重能(もうりしげよし)といって、「割算書」(わりざんしょ)を著した有名な数学者です。
当時は、数学はそろばんを学ぶのが一般的で、数学の専門家(数学者や数学を教える人)は中国の専門的な数学の書物を入手して学ぶのが普通でした。吉田光由も門倉素庵からもらった明の書物「三法統宗」(さんぽうとうそう)という本を学びました。「算法統宗」にはまだ日本で知られていない連立一次方程式やピタゴラスの定理を使う問題も紹介されていました。また、吉田光由が生きた江戸時代初期は円周率は「3.16」とされていて、「塵劫記」も「3.16」が用いられています。日本で「3.14」が普及するのは関孝和(1640ごろ-1708)の登場を待つことになります。
大人になった吉田光由は、大覚寺に依頼されて、農民のために菖蒲谷(しょうぶだに)の池の水を北嵯峨野の水田へ引くトンネル(隧道)を掘ることに成功します。トンネルを掘るのは数学・工学の広い知識が必要なのですが、吉田光由はその知識を「算法統宗」から得ました。ただ「算法統宗」は入手が難しく(当時、本は大量印刷ができず高価なため、読みたい人は持っている人に頼んで書き写していました)、内容も難しかったので、吉田光由は、広く庶民向け、子ども向けに算数・数学の本を書くことにしました。それが「塵劫記」です。
この本は江戸時代を通じて普及され続けて、日本の数学のすそ野を広げ、水準を上げることに大きく貢献しました。江戸時代初め、円周率が「3.16」だったくらい日本の数学は遅れていたのですが、この本が大きなきっかけとなって、江戸時代の後半には日本独自の「和算」(わさん)が発展していきました。
おおよそのあらすじを紹介しましたが、彼の生涯の紹介がメインの内容となっていて、楽しく読めます。
著者の鳴海風さんが江戸の数学者を描いた「円周率の謎を追う 江戸の天才数学者・関孝和の挑戦」もオススメです。
数学MS、図書メディアセンターにもありますので、ぜひ読んでみてください。
(数学科 園田毅)