鳴海風「円周率の謎を追う 江戸の天才数学者・関孝和の挑戦」(くもん出版)をご紹介します。
皆さんもよくご存知のように、江戸時代、日本は鎖国していたので、数学は横書きの数式はなく、すべて縦書きの文章で表されていました。「1、2、3・・・」というアラビア数字も「+-×÷」という記号もありません。江戸時代初期、日本の数学の水準は今の中学生くらい(基本的な方程式が解ける程度)だったのですが、この本の主人公、関孝和(1640年頃-1708)をはじめとする数学者の活躍で、一気に当時のヨーロッパの水準を越えていたことが最近の研究で明らかになってきています。ちなみに、当時、日常の計算はそろばんで行われていました。そろばんは電卓が普及する1970年代までは普通に日本中のお店で使われていましたし、小学校でそろばんの授業がありました。私も「マイそろばん」を学校へ持っていき、授業で習いました。
江戸時代初期、円周率は3.16や3.162が使われていました。当時の数学者、吉田光由「塵劫記」(じんこうき)、今村知商「竪亥録」(じゅがいろく)にそう示されていたからです。しかし、ほんとうの値は3.16より小さいことに気づく人たちが現れ始めました。関孝和もその一人で、甲府藩の仕事の合間に円周率の正確な値を求める研究を進めていきました。
赤穂藩の村松茂清が「算爼」(1663年)を著し、正32768角形で円周率小数点以下7ケタ3.1415926まで正確に求めました。続いて、関孝和は1681年頃に、円周率を小数点以下11ケタ(3.14159265359)まで求めることに成功しました。
彼らの計算方法は円に内接する正多角形の周を計算して円周率に近づくという方法です。最初のうち(正10角形くらいまで)は中学3年生までの数学を用いて計算することができます。関孝和は正137032角形を使って、小数点以下11桁まで計算しました。この計算方法はのちに「増約術」、現代では「加速法」と呼ばれるもので、世界に200年先駆けて発見されました。
関孝和は、円周率の計算の他、著書「発微算法」(1674)では算木を改善するために発明した傍書法を用いて、新しい代数方程式の解法を示しました。また、行列式の理論を生み出し、ベルヌーイ数の研究を行なったことも知られています。これらは、ヨーロッパの数学者たちに先んじた世界初の発見であると言われています。関孝和はとてもすごい人なのです。
関孝和と円周率をめぐるドラマを楽しんでくださると幸いです。立志館2階、数学メディアスペース(MS)にて、円周率関連の展示をしております。(写真)
(数学科 園田毅)