理科教諭なべやんの「学内探訪」 Nabeyan's Column
2016年5月より、本校理科教諭の田邉利幸が綴った「学内探訪」コラムを連載していきます。
キャンパス内の名所や豊かな自然環境をご紹介していきます。
連載!理科教諭なべやんの「学内探訪」
<掲載に際して>
「学校」という空間は、人間が生活する環境の中でも”特異”な空間です。本校の場合主に近畿圏各地の居住地域から、900名近い人々がこの岩倉の地に通い、集い、学び、お互いを高め成長する場となっています。
そして午前8時から午後5時までの校内は、未来の無限の可能性を秘めた若者の活気が満ち満ちています。ある場面では授業としての「教科の学び」が、また「かけがえのない友人との語り合いや交流」が、そして放課後は「個性的で多様な先輩や後輩との学び合い」と、学び通しの9時間があっという間に過ぎていきます。
これらのさまざまな経験は、今後の豊かな人生を築き上げていく上で何よりも大切な宝物です。
そんな豊かな3年間を「学校環境」の視点から振り返ってみた時、この地には四季折々に変化する比叡山や北山、西に流れる岩倉川の自然の景観や、季節の移ろいを感じて多様に変遷する豊かな動植物が生息しています。そして同時に、香山建築研究所の設計による建造物、空間構成、そこに組み込まれた”芸術作品”にも注目したいと感じました。子どもたちが快適に生活できることを何よりも大切にし、校地の空間や構造物のデザイン、校舎間や空き地への動きを科学する「動線の科学」、教科教室内の機能性や教科MSの空間構成など、本校に関わるデザイン的要素のすべてが「芸術作品」であり、また、「建築工学の最先端の現場」でもあるように思うのです。いわば子どもたちは、宇宙・自然・芸術・環境・人間・工学の多様な視点から創造された作品群の中で学校生活を送っていると言っても過言ではないと思います。
ある時、何気なく校内を歩いていると、自然物や構造物の方から次から次にメッセ-ジが伝わってきました。今回そのメッセ-ジに促されて、「学内探訪」(適宜「学外探訪」も)と題する連載を記してみます。雑駁な文章で不足を感じる点は多々ありますが、ご一読いただきご批判、ご鞭撻いただければ幸いです。尚、英文Summaryは本校英語科のDavid Foremanが担当しています。
田邉利幸
第17回 名前のある階段
~今出川時代の歴史を刻む~
同志社中学校の立志館には、名前のついている階段が3箇所あります。階段に名があるなんて珍しいと思いませんか? いったいその階段名にどのような想いが込められているのでしょうか。
本校は、2010年度2学期から現在のキャンパスに移転してきました。移転前、今出川の同志社中発祥の地には「彰栄館」(1884年年建立)と「同志社チャペル」(1886年)の国の重要文化財に指定されている建物以外に「立志館」(1910年)、「醇厚館」(1939年)「日新館」(1977年)などの建物がありました。
「立志館」は生徒のみなさんが日々の授業など学校生活を中心に過ごした建物で、その名は現在の立志館に引き継がれています。「日新館」には図書館や保健室、美術平面・立体教室、数学科・美術科教員室などが、また「彰栄館」には校長室、社会科教員室、会議室などがありました。この建物には戦時中、「奉安庫」(天皇皇后の写真や教育勅語を収めた)が北西側にあったことが、今もレンガの色が家形に異なることからわかります(「奉安庫」は後に「奉安殿」として東側に移動)。
学校の移転に伴い、当時の有志生徒のみなさんが今出川キャンパスの校舎の思い出をいろいろな形に残しましたが、この階段名も今出川時代の数々の記憶を継承するために名付けられたのです。
In the Risshikan building of Doshisha J.H.S. there are three stairwells, each of which has a name. Have you ever wondered what these names mean? These are actually the names of buildings that were a part of the school when it was on the Imadegawa Campus. When we moved to New Campus, many students wanted to keep these names as a memory of the previous campus, so they were chosen as the names of the stairwells.
第16回 百花の魁(さきがけ)
~庭上の一寒梅~
創立者新島襄は、花々が咲き誇る春の到来の先駆けとしての「梅花」に強い思いを見出し、次の句を残しています。
この一句は弟子の深井英五への色紙に記したものです。さまざまな抵抗に遭いながらも、私立学校創設へと邁進する新島の情熱と、風雪に耐え雪を載き咲く寒梅の強さとが重なります。1889年の秋、新島は募金集めのための過労が原因で倒れ大磯の百足屋旅館で静養します。左下の五言絶句は、先の一句と似てはいますが、気持ちの激しさが感じられません。この点について和田洋一氏は「百足屋の庭先に梅の木が1本あり、それを眺めての新島の感想が詩の形をとった…争わず力めず、自らの姿をそこに見て、やすらかな気持ちを味わい、ほほえみともため息ともつかぬものが外に現れて句になった。」と分析しています。
まもなく百花の到来。校内の一輪の花からみなさんは何を感じられるのでしょうか。今も本校の卒業式では「庭上の一寒梅」が合唱されます。卒業生ひとりひとりが数々の困難にも屈せず、自らの人生をしっかり歩んで行かれることを祈っています。
With the coming of spring, many types of flowers will start to bloom within the school. Our founder, Mr. Nijima, wrote a Chinese poem about the plum trees that would bloom at the end of winter on the Doshisha campus. Even today, a song based on this poem is sung at Doshisha graduation ceremonies.
第15回 チャペル創設時からの椅子
~畳椅子のあたたかさ~
2014年4月から立志館東側に少しカ-ブした長椅子を置いています。昼休みはこの椅子に座ってお弁当を広げる生徒のみなさんが集い、また隣りには生徒会の看板もあり、このスペ-スは、まさに生徒が主人公の空間となっています。
さて、この椅子は今から140年前、今出川の同志社チャペル創設時(1875年)から礼拝に利用されてきた、実はとても歴史のある椅子です。一体何人の先輩たちがこの椅子に座ったのでしょうか? 同志社普通学校や同志社中学の生徒たちが長年利用して椅子の片方が浮き上がったりしたため、1965年に個人椅子に代わり現在に至っています。ところで、1963年にこのチャペルは同志社最初の国の重要文化財に指定されましたが、その際に「長椅子の保存」が指定の条件となったため、当時の同志社本部は、この椅子を岩倉の材木倉庫に保存しました。その後しばらくして岩倉のグランドでこの椅子の姿が確認されましたが、多くは倉庫とともに姿を消したようです。(今立志館にある椅子は、今出川に残された数脚のうちの一脚です。)
明治期から多くの卒業生がこの椅子に座り、礼拝に集い、祈りまた友と夢や希望を語りあった椅子で、今日も「ダイヤモンドの原石」である現生徒たちが、楽しそうに語り合っています。
In April, two years ago, we put a slightly curved bench out In front of the Risshikan building. A lot of students like to sit here and eat lunch. This bench has a lot of history.
It was one of the original bench-seats in the Doshisha Chapel in 1875, but spent a lot of time just sitting in storage in both Imadegawa and Iwakura. This bench from the Meiji Period has been used by many students as they prayed during services, or just sat and talked with friends about their dreams and ambitions, and it still serves them well.
第14回 おはなしして子ちゃん
~芥川賞受賞卒業生とサルの標本~
2013年夏、1994年度本校卒業生の藤野可織さんが第149回芥川賞を受賞されました。受賞作品は「爪と目」でしたが、受賞後の第一作が「おはなしして子ちゃん」という作品です。帯に「恐るべき才能が炸裂する10篇のおはなし」と記されたこの本の表題作は、その舞台が中学生時に過ごした今出川の理科室のようです。そして藤野さんは当時展示してあった数多くの標本の中でも「サル」から受けたインパクトが強烈だったのか、作品中に次のような描写があります。
「もっとも印象深かったのは猿です。猿は、私が確認できたかぎりではその棚で唯一の哺乳類であり、瓶は抜きんでて大きく、漬けられている当の猿にとっても少々大きすぎるほどでした。猿は膝をゆるく曲げ、背を瓶の側面につけ、中腰のような、空気椅子に座っているような恰好でじっとしていました。…猿の表情はやすらかでしたが、見ようによっては不安げでもあり、なにかをためらっているようでもありました。」
この標本が想遠館の理科MSに現在展示中のサルです(写真)。また、文中には標本棚の印象として、「標本は、長いこと手入れをされていないようすでした。」「ラベルに記された文字はおおかた消え去り…」、あげくに「展示する意図の一切感じ取れない棚でした」とも。教員のひとりとしてこの言葉を励みにしながら、貴重な標本の整理にむけて努力したいと思っています。
In 2013, Kaori Fujino, a graduate of Doshisha JHS, won the Akutagawa Prize for Literature with a book titled “Tsume to Me”. In her next work, she wrote a story based on her school life at Doshisha JHS, titled “Ohanashishite Ko-chan”. In this story she talks of the impact that a monkey that was on display in the Science Department in the school at the time, had on her.
This monkey can now be found displayed with the book in the Science Media Space.
第13回 アーチ形が若き命を迎え、育てる
~昔と今の同志社中~
みなさんが生活している学内にア-チ形はたくさんあります。そのほとんどが窓や出入り口にある「タテ型」のア-チ形でしょう。今回ご紹介するのは「ヨコ型」のア-チです。
上の写真は、1934年(昭和9年)の今出川校地西門です。左側の建物は、国の重要文化財で「彰栄の鐘」がある彰栄館、中学が活躍していた頃は、「校長室」「社会科教員室」「父母の会室」「会議室」などがありました。注目してほしいのは、手前の校門です。ここに見事なア-チ形が配置されています。登校してきた当時の中学生も、学校に優しく招き入れられるような感覚になったのではないでしょうか。
次に下の写真です。この造形物はどこにあるかわかりますか?同志社小学校との間、モ-ルから北方向を眺めると、ちょうど「ここまでが中学校」というアイ・ストップになる場所に配置されています。ここは校門ではなく、「曲線を楽しむ空間」です。こんな場所を「アルコ-ブ」といいます。よく、洋式建築物で、部屋・廊下などの壁面の一部をくぼませて造った小部屋のことを言います。屋内では、寝室・書斎・書庫に使われたり、屋外では、坪庭やサービスガーデンになったりします。
さて、みなさんはこの空間を何に利用しますか?
自分で考えた、自分だけの利用方法で、ユニ-クな空間利用に挑戦してみてください。
There are a number of vertical arches around the school, but there are also some horizontal arches too. The first photo above shows the Western Gate of the Imadegawa Campus in 1934. This arch served as the main entrance to the junior high school, welcoming the students each morning.
In the second photo, we can see the arch that is at the end of the mall at the new Iwakura Campus. This is not an entrance, but is known as an “alcove”, which doubles as an open space where students can play.