今回は少し足を延ばして、今出川校地の話題です。中学は8年前までこの地で教育の営みを行っていました。大学の敷地に組み込まれるような中学の校地でしたが、その中に「同志社礼拝堂(チャペル)」「彰栄館」の2棟の国の重要文化財があり、日々の礼拝や学年集会、生徒の委員会活動や教職員の会議を行っていました。
その「彰栄館」の北壁には、不思議と家の形にレンガの色が異なる場所がありました(写真上)。いかにも昔、何か(?)があった印象です。真ん中の図はレンガになる前の北壁図面です。格式ばった扉の印象ですが何となく違和感も感じます。
実は、この扉の内側には戦時中「奉安庫」(天皇・皇后の写真や教育勅語が納められていた)があり、当時の中学や大学の教職員が、この部屋の南側にあった海軍式ベッドで宿直していたと言われています。
左下の写真は、1941年3月の卒業アルバム掲載写真です。この写真は、当時の同志社中学校の生徒が西門から入ってきたところの一場面です。右端の中学生は、帽子のひさしに手を当て最敬礼していますが、その最敬礼の先には、彰栄館から移設された「奉安殿」(右下写真)があったのです。戦時下では自分の考えや行動は制限され、自由に学問を深めることもできませんでした。
中学は今出川校地から離れましたが、是非機会をつくって彰栄館の北壁を訪れ、自由に考えることのすばらしさと平和の尊さを心に刻み、平和を考える人として社会に貢献してほしいと願っています。
This time, we are going to look at the original Doshisha campus in Imadegawa. 8 years ago our junior high school moved to Iwakura. Before that, we were in Imadegawa, next to the university. At that time, we used two buildings that are now National Treasures, the “Doshisha Chapel” and the “Shoueikan”, every day for morning services, assemblies, as well as student and staff meetings.
You might notice a strange pattern on the north wall of the Shoueikan. This was where there was a small room that contained pictures of the Emperor and educational edicts during the war times.
This was moved to the school’s gate, and students would pay their respects to it as they arrived at school each day.
The junior high school has moved from Imadegawa, but please take some time to go and see these buildings and feel the importance of peace.