創立者新島襄は、花々が咲き誇る春の到来の先駆けとしての「梅花」に強い思いを見出し、次の句を残しています。
この一句は弟子の深井英五への色紙に記したものです。さまざまな抵抗に遭いながらも、私立学校創設へと邁進する新島の情熱と、風雪に耐え雪を載き咲く寒梅の強さとが重なります。1889年の秋、新島は募金集めのための過労が原因で倒れ大磯の百足屋旅館で静養します。左下の五言絶句は、先の一句と似てはいますが、気持ちの激しさが感じられません。この点について和田洋一氏は「百足屋の庭先に梅の木が1本あり、それを眺めての新島の感想が詩の形をとった…争わず力めず、自らの姿をそこに見て、やすらかな気持ちを味わい、ほほえみともため息ともつかぬものが外に現れて句になった。」と分析しています。
まもなく百花の到来。校内の一輪の花からみなさんは何を感じられるのでしょうか。今も本校の卒業式では「庭上の一寒梅」が合唱されます。卒業生ひとりひとりが数々の困難にも屈せず、自らの人生をしっかり歩んで行かれることを祈っています。
With the coming of spring, many types of flowers will start to bloom within the school. Our founder, Mr. Nijima, wrote a Chinese poem about the plum trees that would bloom at the end of winter on the Doshisha campus. Even today, a song based on this poem is sung at Doshisha graduation ceremonies.