バックステージの緊張感
たった15分に詰め込んだ共感と信頼
突然、バックステージの廊下で段ボールと模造紙を広げて作業が始まる。
「ピン持ってる人おらん?」
「黒マスクに変える?」
「え、今おらんかったやろ?!」
「動くな!動くな!」
「いた!いた!いた!」
バックステージは、さまざまな内容を一瞬の一言に詰め込んで情報を交換し合う。それぞれの役割に信頼と責任を感じながら本番に集中する。ピリピリした中、
「そわしわしてんなあ!」
と言い出す生徒がいる。
「当たり前やろ!」
「しいひん方がおかしいやろ!」
と突っ込まれること前提の、場をなごましてくれる一言。そんな一言で場の空気を変えてくれる生徒がいる。バックステージとは裏舞台のことだが、それはそれぞれの生徒がこれまで練習してきた努力の塊を15分の本番に突っ込む舞台そのものでもあるのだ。
本気になってもいい瞬間
生徒同士で励まし合ったり、厳しいことも言い合ったりして、仲間とがんばるプロセスを楽しみたいというのが本心だろう。自分くらいある大きなダンボールの看板をかっこ悪かったであろうに「満員電車で運んできた」と笑って自慢したり、油性のペンキで手を真っ黒にしてTシャツを作ったり、今やそんなものは買えばすむ。そんな格好悪いことをしなくてももっとスマートにやれるし、そんなのはどう考えても馬鹿げている。なぜそんなに非効率で無駄なことでも一生懸命やろうとするのか?それは単に入賞することや、ただ良い作品を作ることが最終的な理由ではなくて、もっと他のところに価値を見つけているからではないかと思えるからだ。
クラス替えがあって半年、学校生活を通してすでに知り合いではあった友達とあらためて出会い直し、「本気になってもいい」、「本心を出してもいい」、「お互いを受け入れ合わなければやっていけない」関係を、許し合いながら痛いことも嬉しいことも受け入れた「仲間」へと転化する瞬間、それが学園祭であるのかもしれない。直前に自然と円陣になって声を掛け合う姿、教室で勝手に進行していった振り返りのひとことスピーチ大会も、自分を出してもいい仲間と出会えたことを喜び、実感しているその今を楽しんでいるのではないかと思う。
たったの「15分」が出番であり一回切りの唯一の本番である。そのために何回も練習し、BGMも振りも作り直し、無意識に声と体が動くまで繰り返し、もめ合い、励まし合い、厳しいことも言い合った濃密な1ヶ月に起こった抱えきれないほどの悔しさや笑いや達成感が詰まった、たったの「15分」。その「15分」にも終わりが来ることを知っているから、その瞬間を、本気を出しても良い仲間と過ごせるから最高なのだ。(沼田)