これからの時代に大切なもの
この数カ月、リモートでの授業や授業動画作成の大変さに向かい合ってきました。それは、第一に授業デザインの完成度が求められるというものでした。問いかけ行為一つをとってみても、かなり設計された(作りこまれた)問いかけであることが求められます。リアルな授業では、解像度が粗い(設計精度が貧弱な)ものであっても、現場で修正したり反応を見ながら瞬時にパッチをあてていくことが可能です。また別の言い方をすれば、参加者(生徒)の反応をみながら、瞬時にレクチャーの組み立てや問いかけのやり方を変えたりします。基本となる筋や内容を持ちつつも、その時の参加者の反応を観察したり判断しながらより適切に設計したゴールへ向かうよう授業時間をアレンジし続けます。言ってみれば授業も一つのデザインであり、授業者にはデザイナーのようなちからが求められます。よく教員はそれを”ライブ感”と言ったり”臨機応変”という言葉をつかって表現したりしています。ところが、オンライン授業において、生徒に積極的で主体的な気持ちで参加してもらうためには、探求的な要素は不可欠で、その集中した世界へいざなうには、リアル授業とは違うスキル、事前に作りこまれた解像度の高い問いかけや設計図に整合するワークを準備する必要があるのです。MOOCと言われるEdx, FutureLearn、Gaccoなどオンライン学習が盛り上がっていますが、その作り手の苦労を実感する機会となりました。
もっとも「授業」と一口にいっても、一昔前のような雰囲気の授業から未来を予感させる授業までさまざまあります。レクチャー一辺倒の授業であれば、さほど授業者としての力量はなくてもそれなりに授業時間をやりすごせますが、授業の目的である「参加者がより主体的に積極的に参加しより深いレベルで思考したり覚えたりすること」にかなう授業にしたいと思えば思うほど、さらにそれがオンラインになればなおさらその授業者のデザイン力が求められるということです。
今回のコロナ禍で、突然もとめられるようになった(自覚できなかっただけかもしれませんが)スキルはたくさんあり、すこし細かい話を紹介します。それは、授業の動画作成です。本校でも学校の休校に入る前から(今も)は、研修と訓練の連続でした。その方面に詳しい教員(ADE:Apple Distinguished Educatorなど)が講師役となり同僚教員へ知識やスキルを広めていき、共有しました。自分ひとりで授業動画を作ったのは初めてという教員もいました。休校中の同僚の様子、生徒がいない学校、さみしい校舎の中でいつか来てくれるであろう生徒のみなさんを思いながら淡々と準備する様子を撮り、何本かのビデオにしました。授業動画作成に焦点を当てたのが以下の動画です。
https://youtu.be/ZzsE2ZqC6B8(「MAKING OF OUR VIDEO」授業動画づくりの裏側を覗く)
まさに、四苦八苦しながら取り組んだ、失敗だらけの手作り授業ビデオを学内のポータルサイトで発信してきましたが、私たちなりに一生懸命やってきました。玉石混交ではありますが、およそですが500本以上は学内ポータルにアップされています。
この出来事の中で、私たちは周りの同僚の授業動画みることができるようになりました。中学になると教科ごとに区分のようなものがあり、それは時として”お城”のような城壁を感じるときもありました。しかし、この件で、その壁はなくなり同僚教員が考えていることを共有できるようになりました(もっとも、それがPBLなどのきっかけにつながっていったわけですが、それはまた別の機会に紹介します)。また、若い教員の動画をみて”すごいなあ”、”うまいなあ”と感じることがかなりありました。最初に見つけたのは若手の社会科教員の篠原さんの動画でした。少し紹介させていただきます。
オンラインの授業動画がなぜ大変かと言えば、第一に先ほどから述べているデザイン力とかディレクションを判断して決めていく力が必要だからです。第二に、ものや人(自分もふくまれます)をマネージするちから。第三に、自分が出演するのが一番手っ取り早いので自分で演出することになる。つまりプレイヤーとしての能力です。たかが10分の動画であっても、それだけのチカラが試されることを感じてしまうから非常に重いものに感じます。
篠原さんは、すでに知っている生徒たちが視聴者であるということを自覚的に設定しておられ、その視聴者が”篠原ワールド”の入り口にきてくれるような仕掛けがとてもうまく工夫しておられ、もし自分が中学生だったらと考えると篠原先生の授業にのめりこんでいっただろうなと想像しました。本人の許可をいただき、一部公開させていただきます。ぜひご覧ください。(沼田)
お茶から見た日本